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高校時代、私は國學院久我山高校の野球部に所属していました。甲子園にも出場するような強豪校で、練習や上下関係は想像を超える厳しさでした。
毎日泥だらけになり、喉が潰れるまで声を出し、誰よりもユニフォームを汚して練習に打ち込みました。しかし、どれだけ努力に努力を重ねても、結果はついてきませんでした。
3年間、レギュラーになることは一度もなく、ベンチ入りすらできず、公式戦では母校のユニフォームを着ることも叶わないまま、野球部の日々は終わりました。
人生で初めて「努力が報われない」という現実を突きつけられたのが、まさにこの高校野球の3年間でした。悔しさ、情けなさ、憧れへの未練。どれも心の底に重く残りましたが、“やり切った”という清々しさは感じていました。
最後の夏の大会が終わったあと、涙を流しながらも、心の奥には「自分は逃げなかった」「最後まで全力でやり抜いた」という思いが確かにありました。
試合では応援席にいましたが、それでも常に気持ちはグラウンドの選手と同じ気持ちでした。自分の守るはずだったポジションに打球が飛ぶと、思わず体が反応して立ち上がってしまう。応援席にいても、それほどの気持ちを持ちながら応援していました。もしあの時、応援席で不貞腐れ、全力で応援することをしてなかったら、きっと今とは違った人生を歩んでいたのではないかと思っています。
そんな、ベンチの外から仲間を支えることが多かった野球部時代の日々の中で、私はふと気づきました。人を応援することには、特別な喜びがある。誰かの努力を信じ、支え、背中を押すことで、自分の中にも力が湧いてくるのだと。
応援することは、決して“脇役”ではない。むしろ、チームの空気を変え、仲間の心を支える“影の主役”なのだと。
結果だけを見れば、挫折の3年間でした。しかし、あの経験がなければ今の私はありません。努力しても報われないことがある。でも、やり切った人間には、“報われなくても残る自信”がある。あの野球部での日々が、私に教えてくれたのは「やり切ることの価値」でした。そして、レギュラーになれなかったからこそ、私は“支えること”の大切さと喜びを知ることができたのです。
誰かの夢を応援し、努力を信じ、共に挑む。その原点は、あの國學院久我山のグラウンドにあります。私の仕事の根っこにある“励まし”の哲学は、すべて、あの野球部での日々を通して育まれたのだと思っています。
高校時代、私は毎日「野球ノート」を書いていました。そこには、プレーの反省だけでなく、心の叫びが詰まっていました。「負けるな」「開き直れ」「声を出せ」「自分にできることを探せ」。誰に言われたわけでもなく、ただ自分を奮い立たせるようにペンを走らせていました。
練習が終わってから眠い目をこすりながらノートを開き、悔しさや焦り、時には仲間への感謝までを書き留める。毎日、自分で自分を励まし続けるその時間は、今思えば“心の筋トレ”のようなものでした。
後になって気づいたのは、このノートこそが私の「自己対話」の原点だったということです。自分の弱さと向き合い、言葉にすることで心が整っていく。自分の心を励ます力が、人の心を励ます力になるのだと、今ならわかります。
税理士として経営者と向き合うとき、私はよく「言葉を引き出す」ことを意識します。相手の中にある答えを信じ、問いかけながら一緒に整理していく。あの頃ノートに向き合っていた時間が、今の「聴く力」や「寄り添う姿勢」につながっているのだと思います。
母は洋裁の仕事をしていました。小さな仕事場には、近所のおばちゃんたちが毎日のように集まり、世間話をしては笑って帰っていく。母は、いつも黙ってその話を聴いていました。
余計な口をはさまず、ただうなずき、相手の言葉を受け止める。その姿を見て、子どもながらに不思議に感じていました。なぜ母は、ただ聴いているだけで人をこんなに安心させるのだろう、と。
ある日、母がふとこう言いました。「お茶を出さない優しさもあるのよ」。“相手に気を使わせない”という配慮。それが本当の気遣いだと教えてくれました。
私はこの言葉を、今でも仕事の中で思い出すことがあります。数字の話をする前に、まず経営者の心の話を聴く。数字は心の鏡だから、心を聴かずに数字を語ることはできない。税理士としての私の面談スタイルは、あの小さな洋裁の仕事場から生まれたのかもしれません。
父は、生涯現役の零細企業の経営者でした。80歳を過ぎても、毎朝4時に起床し、事務所で設計図と格闘。「働くことが生きること」。その言葉を体現するような人でした。
朝から晩まで働きづめで、お客さまから頼まれたこと以上に仕事をする。成果がでると嬉しそうに、息子の私に自慢していたものでした。そこには、小さくとも経営者としての誇りがありました。
そんな父の背中から学んだのは、「働くことは苦行ではなく、誰かを幸せにする手段である」ということ。誰かの役に立てることが、仕事の喜びになる。私はその姿を見て育ったからこそ、どんなに忙しくても笑顔で働きたいと思うのです。
努力を続けること、誠実であること、そして働くことを楽しむこと。父が教えてくれたその姿勢は、今も私の中に生きています。
高校野球で「応援する喜び」を知った私は、社会に出ても誰かの挑戦を支える仕事がしたいと考えていました。大学4年のとき、就職活動の軸にあったのは「応援したい」という想いでした。
いくつもの業界を見た中で選んだのは、中小企業の経営者を応援できる金融機関。実家が町の小さな鉄工所だったこともあり、両親のように懸命に働く社長たちの力になりたいと思ったのです。
当時はバブルの真っ只中。街には活気があふれ、企業も人も勢いがありました。右も左もわからない新人でしたが、お客さまの役に立てることが心から嬉しく、仕事の手応えを感じていました。
ところが、バブル崩壊がすべてを変えました。景気が一気に冷え込み、融資先の返済が滞り始め、私の仕事は「お金を貸す」ことから「返済を催告する」ことへと変わっていったのです。
私は、お客さまに「頑張ってください」と声をかけながらも、心では葛藤していました。応援したいのに、現実には追い詰めるような役割を担っている。助けたいのに、助けられない。そんな矛盾の中で、自分の仕事の意味を見失いかけていました。
ある日、一人の中小企業の社長が返済相談に来られました。その場には、その会社の顧問税理士も同席していました。私はそのとき、初めて“本当の支援”というものを目の当たりにしたのです。
税理士は冷静に現状を整理し、数字の裏側にある社長の思いをくみ取りながら、再建の道を一緒に考えていました。顧問税理士を見ていると、お客さまから信頼されている様子が伝わってきましたし、確実に困っている人を助けていると感じました。
同じ社長を前にしながら、私は制度の中で動くしかない立場にいたのに対し、税理士は社長に未来を見せようとしていた。その姿がまぶしく感じたことを今でもはっきり覚えています。その税理士の誠実な姿を見て「本当に中小企業の経営者を助けたいのなら税理士だ」との思いを強くしました。
25歳のとき、私はようやく“本当にやりたいこと”に出会いました。誰かの努力や挑戦を支えるという、自分の生き方の延長線上に“税理士”という仕事が、目の前にあったのです。
税理士を目指すと決めたのは25歳。しかし、そこからの道のりは想像以上に長く、険しいものでした。
仕事をしながらの勉強。毎日が時間との戦いで、机に向かえるのは夜遅くになってから。疲労と焦りの間で、「もう少し」「あと一歩」と自分に言い聞かせる日々が続きました。
合格までにかかった年月は、17年。何度も不合格通知を受け取り、そのたびに心が折れそうになりました。「向いていないのかもしれない」と思う日もありました。それでも、やめることはありませんでした。
ただ、ある時から“がむしゃらに頑張る”だけでは前に進めないことに気づきました。「合格できない理由は自分の中にある」と素直に受け止め、勉強のやり方を根本から見直すようになったのです。
税理士試験の会計科目(2科目)は比較的順調に合格できたものの、残りの税法科目(3科目)で私は大きくつまづいてしまいました。税法の条文を暗記することが苦手だった私は、長い間“量で勝負する勉強”を続けていました。しかし、30代後半を迎え、体力的にも限界を感じ始めたころ、「努力の方向を変える必要がある」と痛感しました。
それまでの固定観念を手放し、「弱点を克服し、長所を伸ばす」という合理的な方法へと切り替えたのです。“気合で頑張る”から“考えて進める”へ。その瞬間から、勉強の手応えが少しずつ変わっていきました。
そして最後の1年。「これでダメだったら諦めよう」と覚悟を決め、全てを出し切るつもりで試験に臨みました。不思議と心は落ち着いていて、これまでの努力を信じられる自分がいました。
結果は、合格。17年の挑戦がようやく実を結びました。この経験を通して学んだのは、努力とは“量”ではなく“質”であるということ。
そしてもう一つ気づいたのは、「答えは自分の中にある」ということでした。合格できなかった頃は、常に外に原因を探していましたが、すべては自分の中に答えがありました。その気づきが、いまの仕事にもつながっています。
税務や会計の現場でも、私は経営者の中にある“答え”を引き出すことを大切にしています。税理士試験での学びが、経営者の想いを整理し、次の一歩を導く支援へと生きているのです。
あの長い年月があったからこそ、いま私は、挑戦するすべての人を心から応援できるのだと思います。そして、税理士として歩み始めてからも、私の原点は変わりませんでした。“人を信じ、支える”ことこそが、自分の仕事の中心にある――そう確信するようになったのです。
41歳で税理士試験に合格し、43歳の時に菊地税理士事務所を立ち上げました。独立した当初は、すべてが手探りでした。理想を形にしようと意気込む一方で、現実の厳しさに直面することも少なくありませんでした。そんなある日、創業時からいた最初のスタッフに言われた言葉があります。
「所長、私、孤独でした。」
その一言が胸に深く刺さりました。そして、その彼は、静かに事務所を離れていきました。
私は当時、新しい顧問先を増やさなければという思いで、毎日のように外へ出ていました。事務所のためにと必死に動いていたつもりでしたが、その分、事務所でスタッフと過ごす時間が少なくなっていたのです。
頑張って外で人と会っていた一方で、社内では大切な仲間が寂しい思いをしていた――その事実に気づいたとき、胸が締めつけられるようでした。
どれだけ外で信頼を築いても、足もとにいる仲間との信頼を育てなければ、本当の意味での組織にはならない。“人を大切にする仕組み”がなければ、誰かが孤独になり、やがて離れてしまう――その現実を身をもって知りました。
その経験をきっかけに、私は「人が育つ環境」をつくろうと決めました。一人で抱え込まず、互いに声をかけ合える文化を育てること。それが、私の組織作りの原点です。
スタッフ一人ひとりが成長し、挑戦し、幸せを感じられる職場。それが、私のもう一つの夢であり、税理士としての原点が形になった姿でもあります。
高校時代、私は本気で野球に打ち込みました。結果は、夢破れての挫折。けれど、あのときの全力の毎日が、私に“やりきることの尊さ”を教えてくれました。そして、たとえ夢が叶わなくても、「頑張る人を応援したい」という気持ちを、心の奥に芽生えさせてくれたのです。
それから34年。仕事でもプライベートでも、ずっと一生懸命に走り続けてきました。そして、思いがけない形で高校時代の夢が叶いました。
マスターズ甲子園で、ずっと憧れていた母校・國學院久我山高校のユニフォームに袖を通し、自分がプレーする側として甲子園のグラウンドに立つことができたのです。あの瞬間、34年前の自分がようやく報われた気がしました。
とことん“応援する”という私の姿勢は、高校野球での経験と、17年にわたる税理士試験の受験生活から生まれました。振り返れば、あの時間は、自分で自分を応援し続ける日々でした。
だからこそ、私はいま、苦戦している経営者を応援したい。そして、心の底から信じていることがあります。「この人(会社)は、必ずうまくいく」と。成功は、能力の差ではなく、きっかけとタイミングの差。諦めずに挑み続けていれば、必ず道は開ける――そう確信しています。
顧問先と共に悩み、共に考え、真剣に向き合っていると、不思議なことが起こります。停滞していた事業が動き出したり、思いがけない出会いが生まれたり。
そんなとき、顧問先から「先生と一緒にいるとご利益がありますね」と言われることがあります。でも私は思うのです。それは“私のご利益”ではなく、“あなた自身の力”が引き寄せた結果だと。
本気で挑み、本気で応援し合うと、結果は自然と動き出す。それが、私が信じている“応援の法則”です。挑戦する人を応援し、共に歩み、共に幸せになる。それが、菊地税理士事務所の原点であり、これからも変わらない私の使命です。
菊地税理士事務所
所長 菊地 正和
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